自分が悪くても絶対に謝らない人がいます。
謝ることのできない人というのは往々にして精神的な弱さを抱えているものです。
謝ることで周囲から批難されるのではないかという不安が生じてしまうのです。
自分の非を認めるのは難しい
自分の非を認めるというのは難しいことです。
人間は他人が何かミスをした場合にはその人の能力や性格に問題があるからだと考え、自分が同じミスをした場合には環境が悪かったからだというように自分以外に問題があると考えると言われています。
これを「行為者―観察者バイアス」と言います。誰でも自分には甘い評価をしがちということです。
それでも会社や学校のような場所では自分を客観視して悪いことをしたのであれば謝らなければなりません。
それが社会に参加する人間の義務です。まともな組織で出世していくのは素直に謝ることの出来る人です。
謝るということは下の立場に行くということ
謝ることが出来ない人というのは精神的な弱さを抱えているのです。
プライドが高いように見えますがその根底にあるのは「弱さ」や「恐れ」です。
謝るということはお互いの関係に関わらず一時的に相手よりも下の立場に下がることになります。
たとえ自分のほうが社会的な立場が上であっても謝るときは下になります。
精神的な弱さを抱えている人というのはこれが出来ないのです。
一時的にでも人の下に行くということが怖いのです。そこに行った瞬間に攻撃されるかもしれないと不安になるからです。
正しい指摘でも攻撃されたと捉え自分の全てが否定されたような気持ちになるのです。精神的に弱い人はこれが耐えられません。
自分が攻撃される立場に下がることを極端に恐れているのです。身近な人間の成功にケチをつけるのもこのタイプです。
自分よりも上の立場の人間をつくると相対的に自分の立場が下がるからです。
謝るというのは勇気のいる行為です。自分に非がある以上はどんな処遇も受け入れるという覚悟がなければ誠意を持って謝ることはできません。
自分を守るための自己正当化
精神的に弱い人というのは周囲の批難から身を守るために自己正当化をします。
たとえ自分が悪かったとしても最もらしい言い訳をして他人の責任にするか逆ギレします。
上手く論点をすり替えて一見筋が通っているような話をするのです。
やがて周囲の人間が「いつものことか」と呆れて何も言わなくなると本人も言い訳をしているという感覚が薄れていきます。
そして周囲を誤魔化すための自己正当化がやがて自分を誤魔化すためのものへと変わっていきます。
このような方法でしか間違いを犯したときに自分の不安を鎮めることが出来なくなってしまうと謝ることが出来なくなるのです。
このタイプの人間は上司などから厳しく教育されれば表面上の謝罪をするようにはなります。
しかし自分自身の弱さを克服しないことには永遠に心からの謝罪というものは出来るようになりません。