幸せになる方法は相対評価をやめることです

幸せになる方法が分からないという人がいます。

もしかすると自分の幸せに気づいていないのと同時に他人と比べることでしか自分の幸せを計ることが出来ない状態になっているのかもしれません。

ちょっと下の短い物語を読んでみてください。

海辺でのんびり釣りをしている釣人のところにコンサルタントがやってきて「この魚はどうするの?」聞きました。

釣人は「家族と食べるんだよ」と答えました。

するとコンサルタントは「良い魚だから売れば儲かるよ」と言いました。

釣人は「儲かったらどうするの?」と聞きました。

コンサルタントは「そのお金で水産加工の会社をつくって株式を上場して大金持ちになるのさ」と言いました。

釣人は「大金持ちになったらどうするの?」と聞きました。

コンサルタントは「大金持ちになったら働く必要はないから海辺で釣りでもしながら家族とのんびり暮らすことができるよ」と言いました。

釣人は「その生活はすでに手に入れているよ」と言いました。

有名なアメリカンジョークなので知っている人もいるかもしれません。

もともとの意味は「コンサルタントの言っていることなんてそんなレベルの話」という意味です。

しかしこの話は他にもいくつかの大事なことを教えてくれます。

まずひとつは人によって幸せの基準は違うのに多くの人は同じだと思い込んでいるということです。
コンサルタントにとってはお金を儲けることが幸せです。(と思い込んでいるともいえます)

しかし釣人にとっては家族とのんびり暮らすことが幸せです。

そしてもうひとつは多くの人が自分にとっての幸せに気がついていないということです。
コンサルタントも最後には「海辺で釣りでもしながら家族とのんびり暮らす」と言っています。

お金を得るというのは家族と幸せに暮らすための手段でしかありませんがそれが目的になってしまっているのです。
そしてそのことに自分でも気がついていません。

情報に疎い人のほうが幸せに見えるのはなぜか

手段が目的化してしまっている人はとても多いです。
そしてその手段が達成されないと「自分は幸せじゃない」と思い込みます。

「10億円もらえたらどうしますか?」と聞かれたときに「全額投資に回して20億円に増やします」と答える人はほとんどいません。

つまりお金を増やすことが幸せだと思っている人は少ないということです。

自己啓発の本にはこの質問には「投資に回す」と答えるのが正解と書いてあるでしょう。
私自身もお金を稼ぐという行為そのものはけっこう好きですし経営コンサルティングの仕事もしていますからそう答えるかもしれません。

しかしお金を稼ぐという行為そのものに刺激を感じない大多数の人にとって幸せという視点で見た場合はそれは不正解です。正しい答えは「何もしない」です。

日本のような先進国では既に幸せを手に入れているのにそれに気づかない人が多いです。

商業主義の影響なのかもしれません。
タワーマンションに住まなければとか有名ホテルで結婚式を挙げなければというのは全てそれを提供する企業によって作られた誤った思い込みです。

企業としては消費者が幸せを相対的に判断してくれたほうが楽です。

多くの人が「値段も階数も高いマンションに住んでいるほうが幸せ」と思ってくれたほうが儲かるのです。
もし消費者がそれぞれの基準で幸せを計っていたら儲かりません。

藁の家を作って住むのが幸せという価値観の人がいて多くの人が「そういう生き方も素晴らしい!幸せの形はひとそれぞれなのだから」という考え方を持って受け入れていたら不動産ディベロッパーは潰れてしまいます。

毎日のように企業の都合による情報が垂れ流されていますから一種の洗脳を受けてしまっているのです。

情報に疎そうな人のほうが幸せそうに見えるのは誤った情報に洗脳されていないからです。

他人と比べてしまう人は自分が洗脳されているということに気がつく必要があります。

「小さな幸せ」は小さくない

「小さな幸せ」という言葉があります。日常の些細なことにも幸せを見つけることが大切という文脈で使われます。

私も意識せずにそういった意味で使ってしまうことがあるのですが「小さな幸せ」は小さくないのです。

そもそも幸せを大きいとか小さいで考えること自体がナンセンスなのです。比べているということですから。

私自身は何をしているときが幸せなのだろうかと考えてみると同性か異性かに関係なく好きな人たちと一緒にいるときだと思います。

好きな人と会っている時間も幸せですし会う約束をするという行為自体も幸せです。
誘えば会える好きな人たちがいるということ自体が幸せなのだと思います。

一人で出来る幸せなことといえば心理学の専門書や論文を読んでいるときです。
自分の脳の中に知識が染み込んでいく感覚の中毒になっているのかもしれません。
書店の多い神保町を歩いているだけで幸せな気分になります。

仮に今10億円貰ったとしても同じことをしていると思います。
カウンセリングの仕事も辞めませんし付き合う友達も変わりませんし読みたい本も変わらないでしょう。

でももし私が手段と目的を混同し尚且つ他人と自分を比べることでしか幸せを実感することが出来ない人間だったらどうでしょうか。

きっと「10億円あったらお金持ちの○○さんのように毎日好きな本を読んでときどき仲間とビールでも飲みながら幸せに暮らすのになあ」と言いながら嫌いな仕事をしていたかもしれません。

今自分が小さな幸せと思っているものはどれだけの立場を得ても変わらずに欲するものなのです。

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